国立研究開発法人 産業技術総合研究所(AIST)ナノチューブ実用化研究センター CNT評価チームの張 民芳主任研究員、岡崎俊也研究チーム長(兼)同研究センター 副研究センター長らは、カーボンナノチューブ(CNT)と次亜塩素酸化合物との化学反応を利用し、CNTを含む産業廃水から簡便で効果的にCNTを除去する方法を開発した。
 CNTなどのナノ炭素材料を用いた製造プロセスの環境保全・安全性確保は産業応用上の大きな課題である。特にCNTを含む廃水からCNTを簡易に除去する方法は知られておらず、CNT不織布・分散液の産業応用を阻害する要因であった。今回開発した技術は、CNTを含む廃水の経済的な工業的処理方法につながるものであり、CNTの環境への暴露を防止して、安全・安心なCNT産業の発展に貢献すると期待される。
 なお、この技術の詳細は、2019年2月4日(英国時間)に英国科学雑誌Scientific Reportsにオンライン掲載された。
開発の社会的背景
 CNTは優れた熱、電気、力学特性を示し、化学的にも極めて安定であるため、エレクトロニクスから医療まで幅広い分野で社会に大きな便益をもたらすと期待されている。現在世界中で用途開発が進んでおり、実用例も多くなり始めた。一方、ナノ炭素材料はサイズが極めて小さいことや形状が特殊であることから、環境や生体への悪影響が懸念されている。CNTの急性毒性は低いとされているが、長期的なリスクについては未だ明らかではない。そのためCNTの環境中への暴露を防ぐことが重要である。これまでCNTなどのナノ炭素材料は生分解性をもつ可能性があるという報告があるが、ナノ炭素材料を含んだ産業廃水、廃液の処理技術の報告例はない。特に、CNTを含む廃水の処理方法がないことは、大量の廃水が発生する可能性があるCNT不織布や分散液を用いた製品の実用化に大きな障壁となっている。CNTを含む廃水の経済的な工業的処理方法の確立は、安全安心なCNT産業の発展には極めて重要で、緊急の課題である。
研究の経緯
 産総研は、CNTの合成技術、分散・複合化などの用途を支える共通基盤技術の開発とともに、CNTの安全性評価の開発にも注力している(AISTプレス発表 2017年2月15日)。また、CNTの長期安全性に関わるCNTの生分解性を解明するため、免疫細胞内CNTの定量測定法を開発し、免疫細胞内でCNTが生分解されることを明らかにした(AISTプレス発表 2017年9月12日)。この免疫細胞内生分解では、酵素反応により次亜塩素酸が発生して、CNTが酸化・分解される。今回、次亜塩素酸や次亜塩素酸化合物と反応させて、CNTを含む廃水を工業的に処理する方法の開発に取り組んだ。
 なお、今回の開発は、日本ゼオン(株)と独立行政法人 日本学術振興会 基盤研究課題(B)「カーボンナノチューブの生分解性の解明と制御(平成 29~31 年度)」による支援を受けて行った。
研究の内容
 今回開発した技術は、産業廃水中に含まれたCNTを除去するため、次亜塩素酸や次亜塩素酸化合物でCNTを酸化・分解する技術である。濃度5、50、100 mg/Lの単層CNT(SWNT)と多層CNT(MWNT)の水分散溶液に、次亜塩素酸ナトリウム水溶液(1.25 %)を添加し、37 ℃で反応させたところ、CNTの存在を示す黒色がすべての濃度の分散溶液で、徐々に薄くなり、96時間で全て透明になった。光吸収法により溶液中のCNT濃度を定量測定したところ、CNTが時間とともに減少し、最後にほぼゼロになることが分かった。また、工業用CNT分散液を想定し、異なる界面活性剤により分散された3種類のCNT分散液と次亜塩素酸ナトリウム水溶液を混合し、反応させるとCNTが完全除去されることを確認した。この技術は、CNTを含む廃液と次亜塩素酸化合物の溶液を混合し、適切な温度で静置するという非常にシンプルなプロセスであり、CNT製造工場や加工工場、研究機関で簡便に利用できる。
 次亜塩素酸化合物によるCNTの分解メカニズム解明のため、透過型電子顕微鏡観察とラマン分光測定によって、分解過程中のCNTの構造変化を調べた。ラマン散乱スペクトルでは、CNTが分解するにつれて、欠陥由来のピークが増加してグラファイト構造由来のピークが減少するとともに、新たに欠陥由来のD’ピークも出現した。電子顕微鏡観察の結果とあわせて、CNTは次亜塩素酸化合物による酸化によって壁が少しずつ崩され、グラファイトシート状の破片となり、最後に完全分解したと考えられる。
 今回開発した技術で処理したCNTを含んでいた廃水を安全に排出できるかどうかを確認するため、処理後の残液中の成分を調べた。まず加熱により残液中の次亜塩素酸ナトリウムを除去し、全炭素量を測定したところ、炭素量は検出限界(4 µg/L)以下であった。次に、残液に塩化カルシウムを少量添加すると直ちに白濁し、炭酸イオン(CO3-2)が含まれることを示した。残液を塩酸で中和し、乾燥した物質をSEM/EDS(走査型電子顕微鏡観察/エネルギー分散型X線分光法)で元素マッピングしたところ、残液中にはナトリウム(Na)イオンと塩素(Cl)イオンだけが存在していた。これらの結果から、次亜塩素酸ナトリウムにより、CNTが完全分解され、無害のNaイオン、ClイオンとCO3-2が生成したと考えられる。また、今回使用した次亜塩素酸ナトリウムの濃度は、家庭用漂白剤などに含まれる濃度より低く、処理後の残液は未反応の次亜塩素酸ナトリウムを含んだままで一般廃水として排出できる(ただし、大量の場合は産業廃棄物としての処理が必要)。
 今回開発した技術で、他の7種類のナノ炭素材料(カーボンナノホーンや、異なる合成法で合成したSWNTやMWNT)の分散液を処理したところ、7種類全てのナノ炭素材料が完全に分解されていた。
今後の予定
 今回開発した技術で、用途開発企業などのCNTを含む廃液を処理して、有効性を確認するとともに、さらなる手法の改良を行う。
<用語説明>
◆カーボンナノチューブ(CNT)・単層CNT(SWNT)・多層CNT(MWNT)
 炭素原子だけで構成される直径が0.4~50 nmの一次元性のナノ炭素材料。その化学構造は、グラファイト層を丸めてつなぎ合わせたもので表され、層の数が1枚だけのものを単層CNTと呼び、複数のものを多層CNTと呼ぶ。
◆ナノ炭素材料
 炭素原子を主成分とするナノメートルサイズの化合物の総称。カーボンナノチューブやグラフェン、カーボンブラックなどが含まれる。
◆ラマン分光
 物質に光を照射すると、レイリー散乱光と呼ばれる入射光と同じ波長の光のほかに、非常に弱いが入射光の波長と異なる光が散乱される。この現象は発見者の名前からラマン散乱と呼ばれる。単一の波長の光を照射して、この弱いラマン散乱光を分光計測する方法がラマン分光法で、入射光との波数(波長の逆数)の違いから、分子振動や結晶の格子振動などを測定できる。ラマン散乱により得られるスペクトルをラマン散乱スペクトルという。
◆D’ピーク
 カーボンナノチューブのラマン散乱スペクトルの1620 cm-1付近のピークをD'ピークと呼ぶ。グラファイト構造の欠陥由来のD-bandのピーク(1350 cm-1付近)と同様、CNTの構造欠陥に対して敏感であり、炭素材料の欠陥を評価する際に有用である。
◆SEM/EDS
 試料表面上に電子線を照射し、表面から放出される二次電子や反射電子を検出して試料を観察する走査型電子顕微鏡(SEM:Scanning electron microscope)と、同時に放出されるX線を検出して、元素分析や組成分析を行うエネルギー分散型X線分光器(EDS:Energy dispersive X-ray spectroscopy)を組み合わせた装置をSEM/EDSと呼ぶ。
◆カーボンナノホーン
 カーボンナノホーンは、ナノ炭素材料の一種で、グラフェン(グラファイトシート)を円錐形に丸めた構造をしている。
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