コンバーテック2025年4月号_見本
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□子C口NVERTECHC口NVERTECHCDNVERTECH CDNVERTECH CDNVERTECH C口NVERTECHCDNVERTECH CDNVERTECH CDNVERTECH □□□□□□□□□□寄僚92*なり背中や腰にも痛みが走ります。また、雇用主に性的虐待を受けレイプされる少女たちも多くいるようです。巻き取った糸は何本かより合わせたのち、機織りされシルク製品になっていきます。「糸より」「機織り」作業でも、多くの子供たちが雇用主からの脅しや暴力を受けながら酷使されています。「機織り」に従事している債務児童はカンチプラム市で4〜5万人、バラナシ市で8万5000人いると云われております注8)。 ⑤<児童奴隷労働に立ち向かった少年イクバル・マシー>は、4歳から親の借金のため債務労働者として1986年からパキスタンの絨毯工場で働かされました。1日12時間の労働現場は虫が入らないよう閉め切られ非常な暑さです。部屋中絨毯の糸くずが散乱し、咳き込まずにはいられない劣悪な環境です。仕事を終えて疲れ果てクタクタになって帰宅する日々が続く中、無理やり徹夜で働かされることも少なくありませんでした。仕事道具で傷を負うと傷口を火で焼かれ、ふさがれました。絨毯が血で汚れるのを防ぐためです。過酷で理不尽な労働にイクバル少年が抗議すると殴られ、天井から逆さ吊りにされ、鎖に繋がれました。逃亡し警察に駆け込んだこともありましたが、反対に警察によって工場に戻されました。ワイロで警察と工場がグルになっていたのです。 やがて1992年イクバル少年は工場から脱走に成功、6年間の奴隷労働から解放されました。1994年スウェーデンで開催されたILOの会議で、自らの過酷な絨毯工場での労働体験を語り、会議参加者に深い感銘を与え、さらにアメリカで行われたリーボック人権賞授賞式で2000人の聴衆を前に児童労働の過酷さを強く訴え、聴衆の心を捉えました。場内は割れんばかりの拍手につつまれたそうです。 イクバル少年の堂々とした勇気ある行動は、世界の注目となり児童奴隷労働解放運動の大きな切っ掛けとなりました。一方、イクバルはパキスタンの絨毯産業から危険な存在と見なされ恨まれ、彼への中傷や殺害をほのめかす脅迫が続きました。そしてついに1995年4月16日パキスタンで殺害されてしまいます。12歳でした。殺害の真相は不明ですが、パキスタンの債務労働解放戦線(BLLF)のカーン代表は、絨毯マフィアの標的になったとの見解を示しました。イクバルの死はパキスタンの児童労働問題の深刻さを世界中にアピールすることとなりました。イクバルの葬儀の後、ラホールでは子供たちを中心とした3000人以上の児童奴隷労働に反対するデモが行われました。イクバルはその後も児童奴隷労働解放運動の象徴的な存在となり、彼の遺志を継いだ世界中の多くの人々がNGOなどを通して児童奴隷者の救出・解放、児童奴隷廃止の活動を続けています注9)。 紙数の関係で述べませんでしたが、中国・ベトナム・フィリピンにもたくさんの児童奴隷労働者がいます。詳しくは香川孝三著『グローバル化の中のアジアの児童労働 国際競争にさらされる子どもの人権』をご覧になるとよいでしょう。 世界の生まれた場所、時代によっては、何の罪もない子供たちが地獄のような奴隷生活を強いられています。それでも彼らは懸命に生きています。一方、民の税を泥棒の如く収奪、私腹を肥やす威張り腐った恥知らずな政治家たちがいます、金□けに突っ走る経営者・資本家たちがいます。強制労働に苦しんでいる子供たちの痛み、叫びを知れ! 子供たちを大切にしなければ、やがて世は滅んで行きます。あなたはそう思われませんか。[主な参考書籍]下山晃著、辰本実写真『世界商品と子供の奴隷 多国籍企業と児童強制労働』(ミネルヴァ書房2009)、ロジャー・ソーヤー著、西(原題:CHILDREN ENSLAVED 1988、三一書房1991)、ヒューマン・ライツ・ウォッチ著、甲斐田万智子・岩附由香監訳『インドの債務児童労働 見えない鎖につながれて』(原題:THE SMALL HANDS OF SLAVERY Bonded Child Labor in India 1996、明石書店2004)、香川孝三著『グローバル化の中のアジアの児童労働 国際競争にさらされる子どもの人権』(明石書店2010)、ケビン・ベイルズ著、大和田英子訳『グローバル経済と現代奴隷制』(原題:Disposable People: New Slavery in the Global Economy 1999、凱風社2002)、岩附由香・白□□□□水労働者とよばれる2億1800万人の子どもたち』(合同出版 第5刷2010)注1) 特開平7-67554「ゼリー菓子及びその製法」明治製菓株式会社注2) 野口知里、小林身哉、小山洋一「20代から50代日本人女性における食事由来コラーゲン推定摂取量の特徴」栄養学雑誌Vol.70 No.2 120-128頁(2012)注3) 特公昭61-039228【出願番号】特願昭57−33580【出願日】昭和57年(1982)3月3日【発明の名称】密封小分け袋及びその製法【発明者】階久雄【出願人】旭化成立野園子訳『奴隷化される子供』著『わたし8歳、カカオ畑で働きつづけて。児童木朋子・コンバーテック 2025. 4余聞㉓

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